大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和29年(オ)953号 判決

上告人 賀彩琴 外四名

被上告人 大倉和親

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人松本乃武雄の上告理由第一点、第二点について。

中国浙江省鎮海県に籍貫(本籍)を有する上告人らは、わが国が中華民国政府を承認したこと及び同政府と締結した平和条約(昭和二七年条約第一〇号)四条、一〇条等によつて、中国の国籍を失うものではない。従つて上告人賀秀玉ら四名の行為能力及びその法定代理を定めるにつき、同人らを無国籍人とし、法例二七条二項により住所地法たる日本法を適用した原判決に違法のあることは所論のとおりであり、これについては、別段の事由のない限りその本国法たる中国の法令を適用すべきものといわなければならない。しかし、上告人賀秀玉ら四名が昭和一四年六月一〇日より昭和二三年五月二八日までの間に出生したものであることは記録中の戸籍証明書(一三丁)により明らかであるから、中華民国政府の公布施行している民法一二条、一三条、七六条、七七条、一〇八六条、一〇八九条等によると、同人らは完全な行為能力を有せず、母たる上告人賀彩琴がその法定代理人となるのである。次に中華人民共和国政府の法令を適用すべきであるとの所論の立場に立つても、同政府の公布施行している法令中には行為能力及び法定代理に関しては別段の規定を認めることはできないが、ただ婚姻年令を男子二〇才、女子一八才と定めた婚姻法四条、選挙権及び被選挙権の資格年令を満一八才と定めた憲法八六条等の規定の趣旨に徴すると、一八才にも達しなかつた右上告人ら四名が行為能力を有するものとは条理上解し難く、この場合、条理に照し母たる上告人賀彩琴をもつてその法定代理人となすべきである。しからば、いづれの政府の法令の適用があるにせよ、上告人賀秀玉ら四名を訴訟行為無能力者となし、上告人賀彩琴をその法定代理人とした原判決の終局の判断は正当たるに帰し、論旨は結局理由がないことに帰する。

同第三点について。

原判決に法例二七条二項を適用した違法があるとしても、所論慣習法を認むべき資料はなく、また中華民国政府の公布施行している民法一一三八条、一一四四条は妻及び子が共同して遺産を相続するものと規定しているし、前点所論の中華人民共和国政府の法令によるべきものであるとの立場に立つても、同政府の公布施行している法令中には、この点に関する別段の規定を認めえないし、中華民国政府の右記規定と異別の趣旨に出でているものとも条理上にわかに解し難いから、いづれの政府の法令の適用があるにせよ、上告人らが相続により本件建物を所有するものとしてこれが収去を命じた原判決の終局の判断は正当たるに帰し、論旨は結局理由がないことに帰する。

同第四点について。

しかし、原判決の引用した第一審判決は、所論甲第三号証を当事者の提出した証拠として掲示した上、「被告らの主張する賃貸借契約の存在を認むるに足る証拠は一つもない」と判示し、また原判決は、所論邱乾台の証言を当事者の援用した証拠として掲示した上、「当審におけるその余の証拠によつては右認定を動かすことを得ない」と判示しているのであるから、所論の証拠を斟酌した上、なお上告人らの抗弁は採用できないとしているのである。所論は原判示の趣意を正解せず、原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するにすぎないもので理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋潔 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己)

参照 上告人五名代理人松本乃武雄の上告理由

第一点原判決はその援用する第一審判決と共に上告人賀秀玉、秀起、勝江、玲秀等四名の訴訟行為能力の有無に関し、法例の解釈適用を誤つた違法がある。

一、右四名の上告人等が二十歳未満であること、中国浙江省鎮海県にその籍貫を有すること、従つて日本の国籍を有しないことは当事者間に争がない。かかる者の能力の有無は法例第三条第一項によれば其者の本国法により定めらるべきである。而して右四名の上告人等の本国法はその有する国籍によつて定まるのであるが、原判決がそのまま援用した第一審判決はこの点に付て、「同被告等(右四名上告人)が中国々籍を有するものと認めることが出きない。又同被告等が中国以外の他の国籍を有するものと認むべき証拠のない本件に於ては同被告等は法律上はこれを無国籍人として取扱う外はないわけである。」とした。そこで第一審判決は何故に四名の上告人等が中国々籍を有しないとしたかと云うに、日本が中華民国々民政府を承認し、その両政府の間に締結された平和条約にその根拠をおいている。

二、右平和条約は中華民国の台湾及び澎湖諸島のすべての住民及び以前にそこの住民であつた者並にそれらの子孫をその国籍を定めるについての対象とし、それらの者に国籍を与えているが、右地域以外の地の住民、以前の住民並にそれらの子孫には適用されず、それらの者の国籍は右平和条約の関知するところでない。その意味は右地域以外の住民等の有する国籍を奪うことは出きないと云うことである。依て第一審判決の前記「有するものと認められない」中国々籍なるものは国民政府とその住民等との関係を指称するもので、中国と云う国家とその構成員との法律上の関係である真正の意味の国籍を指称するものでない。

三、四名の上告人等が中共政府樹立以前中華民国の国籍を有していたことは疑うことの出きない事実である。前記平和条約がこの上告人等の国籍を奪うことが出きないのは右条約の効力が前記地域的制限を受けていることの当然の帰結である。依て第一審判決が「同被告等が中国以外の他の国籍を有するものと認むべき証拠がない、」と云うのも明かに誤まりである。

第一審判決の之等の誤謬は国民政府の承認を中国と云う国家の承認或は修交関係の回復と混同したからではなからうか。

以下承認に関する国際法学者の説くところを援用する。(国際法講座第一巻)

承認には国家の承認、政府の承認、交戦団体の承認がある。前記日本の国民政府の承認は右に云う政府の承認であつて、それは中華民国のうち、台湾その他の地域の範囲内で国民政府が中華民国を代表する資格を有するものと認める行為である。ところが中華民国と云う国家の承認とは中華民国が国際社会の構成員たるの資格を有するものと認める行為である。日本が過去に於て中国に対しかかる承認をしたことは確実である。それは国民政府に止らず、遠く日清戦争当時に遡り、清国政府の統治していた中国を承認した。そこで人の国籍は人を特定の国家に従属せしめる法律上の関係であるから、或る国家の承認がなければ、その国家の国民と云うことを考えられず、事実上その国家に従属している国民でもこれを無国籍人とすることは出きるかも知らないが、いやしくも一度国家を承認した以上、その国家の国民の国籍を否定してその者を無国籍人となすことは許されない。

四、かかる国家の承認は修交関係と結びつき、国家の承認がなされると、修交関係の開始があるのを通例とするが、一旦開始された修交関係が何かの事情で断絶することがあつても、国家の承認の要件が備はつている限り、その承認を撤回することは許されない。

そこで前述した中国と云う国家の承認が撤回されたことがあつたかどうかを考えてみよう。凡そ国家承認の要件とは、(一)国家として確立していること(国家権力の実効性と永続性)、(二)国家に国際法を守る意思と能力とがあることである。我々はかかる要件が中国に欠缺していると如何なる国家でも認めたと云うことを聞かない。又要件が備つていても日本が主観的に右要件の欠缺ありとして承認を撤回する意思を表示すると云うことはあり得ないことではない(その意思表示が国際法上効力がないと云うことは別として)。然しそのような意思表示を日本がしたことのないのは明白である。

そこで日本と国民政府との前記平和条約で「千九百四十一年十二月九日以前に日本国と中国との間で締結されたすべての条約、協約、協定は戦争の結果として無効となつたことが承認され」たことや或は遡つて日華事変中の蒋政権を相手とせずとの近衛声明が右国家の承認の撤回ではないかとの立論も考えられるが、それは明らかに修交関係の断絶であつて国家の承認の撤回ではないから、日本国は中国の国家の承認を撤回したことがないと云える。

五、以上によつて中国人が中国の国籍を有し、決して無国籍人でないと云うことは前記平和条約の成立によつて少しの変更をも加えられないことは明白である。右平和条約の国籍に関する条項は台湾及び澎湖諸島の住民等の国籍に関する国民政府の国内法の変更であるに過ぎないのである。中共政府の国内法の変更でないこと勿論である。そこで五名の上告人等の法例第三条の規定する本国法は現に中共政府の浙江省鎮海県に施行している国内法である。原判決並に第一審判決は宜しくそのような国内法を示すべく、若しこれを示すことが出きないならば被上告人の四名の上告人等に対する本訴を却下すべきである。

(東京都中央区長の発行している上告人賀彩琴の旅券には国籍中国と記載されているが、このことは上告代理人の所論によらなければ到底これを矛盾なく解明することは出きないであらう。)

第二点原判決はその採用する第一審判決と共に第一点に述べた通り中国人の国籍に関する法令の解釈を誤まり、上告人秀玉外三名を訴訟能力なきものとし、法定代理人によつてのみ訴訟行為をなし得るとした。而して右法定代理人が何人であるかに付ても亦全く同様の誤りをおかした違法がある。

一、第一審判決は「同被告等の父賀宝栄が昭和廿三年五月二十日死亡したことは当事者間に争のない処であるから、法第二十条後段により右被告等の母であることについて当事者間に争のない賀彩琴の本国法により賀彩琴と同被告等の親子関係が決せられる訳であるが、賀彩琴の本国法については、同被告等の本国法について説示したと同一の理由によつて日本法が賀彩琴の本国法と看做される。」と説示している。

右賀彩琴の本国法を日本法と看做す根拠である、賀彩琴を無国籍人とした第一審判決の立論の誤まりであることは第一審に述べた通りであるが、その要点を次に摘記する。

国籍は国家と人との関係であつて、政府と人との関係ではないから、中国のように政府の交替の頻繁な国家においても中国人の国籍は政府の交替によつていささかの変更を加えられるものでない。第一審に於ては国籍が他国の承認に関連あるかの如き口吻をもらしたが、それは第一審判決に対する反駁の余波であつて、実は国籍の得喪は国家や政府に対する他国の承認とは何等関連するものでなく、国内法である国籍法のみが定められるのである。只自国を承認しない他国がその国の国民たることを認めないことがあるだけで、それも積極的に無国籍人とすることはあり得ない。精々のところで国籍不明として所遇するに止まる。ところが法例は国籍不明の場合についての規定を欠いている。そこで日本は中国を国家として承認したのであるから、本国本土に中共政府が樹立され日本が未だその中共政府を承認しないでも、中国人は依然として中国人であるのである。只国民政府の国籍法が前記平和条約の通り変更したように、中共政府の施行している国籍法が変更したかも知れない。然し上告人等の国籍を喪失せしめるような変更は国籍法の根本法理である既得権の観念から云つて、ありうる筈がなく、仮にあつたとすれば具体的にそれを示さなければならない。

(以下省略)

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